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えんむすび七夕祭【2024年6月29日〜8月7日】

天の川に願いを込めて

1年に一度織姫と彦星が
巡り合うことができるという七夕伝説
7月7日天の川を挟む2つの星が
最も光り輝くと言われています

縁結びとは、人と人との縁
恋愛、仕事、生活すべてに関わります
良いご縁がありますように、縁結びへお越し下さい

期間中、境内のライトアップや短冊、
特別御朱印の頒布を行います
浴衣や甚平でぜひ夕涼みにお越し下さい

赤川花火大会【2024年8月17日】

2024年8月17日(土) 開催
赤川河川敷の広さを生かし、約700mの範囲で、約12000発の花火を打ち上げる。全国デザイン花火競技会として選りすぐりの業者が参加し、各社の自慢の花火を打ち上げ。2024年の第31回開催テーマは「新花 ~感動と希望を未来に紡ぐ~」.

※会場内は全席チケット制
※チケットをお持ちでない方の入場はできません

本場で気軽に!だだちゃ豆収穫体験イベント【2024年8月18日】

鶴岡を代表する特産品、鶴岡市内の大泉地区でも盛んに栽培されている「だだちゃ豆」の振興を目的として、2016年から毎年指定日に開催されている「だだちゃ豆収穫体験」イベントです。
イベント当日は実際の圃場で「だだちゃ豆10 株分」の収穫体験ができます。収穫しただだちゃ豆はもちろんお持ち帰りいただけます!収穫時はベテラン農家もお手伝いするため、どなたでもお気軽に予約不要で体験いただけます。

だだちゃ豆は鮮度が命!ぜひ収穫体験後はご自宅ですぐに茹でていただいて、美味しいだだちゃ豆をご賞味ください。(お持ち帰り時間が長くなりそうな方は、鮮度維持のため、クーラーボックスのご持参をおすすめしております)

しゃりんオープン記念行事『夕陽能』【2024年8月25日】

【例年8月下旬】
道の駅「あつみ」しゃりんオープン記念行事
昼の部は、屋外ステージでの歌、踊り、太鼓などを披露。抽選会などのお楽しみ会もあります。
夜の部は、日本海に沈む夕陽を背に「夕陽能」と題して県指定無形民俗文化財「山戸能(やまとのう)」を上演します。

馬場町のタブの木

樹齢約400年。根回り約5m、高さ約15m。酒井藩の家老、服部瀬兵衛の屋敷のあったところにあり、酒井藩が飛島見地の際に、持ち帰った苗木が植栽された、また、酒井家の入部の際に持ち込まれた、などの言い伝えがある。県指定文化財天然記念物。

●バス案内
【庄内交通ホームページでご確認ください。】
庄内交通ホームページ
 

八朔祭【8月31日夜~9月1日早朝】

【8月31日夜~9月1日早朝】
入峰した山伏が開祖蜂子皇子を祀った蜂子神社に祈願しつづいて大紫灯護摩を行うことからはじまったものと伝えられ山伏たちによって点火された護摩は夜の羽黒山頂を照らしえんえんともえる様子は壮厳そのもので、1,400年の歴史と伝統をしのばせるものがある。

山伏に会える【参道山伏】

石段参道で山伏に会える!?

羽黒山随神門から五重塔までの石段参道に山伏が滞在します。
山伏の方は人に説くことも修行のひとつだそう。ぜひ、声をかけて羽黒山や出羽三山、山伏について、など質問してみてくださいね。
記念撮影の他、観光案内も対応。法螺貝も吹いていただけるかもしれません。
 
◆山伏についてもっと知るなら…
【特集】山伏と歩く 生まれかわりの旅 出羽三山
【インタビュー】出羽三山の山伏が語る!知られざる山伏の秘密

国宝羽黒山五重塔プロジェクションマッピング【2024年9月14日~9月16日】

2024年も羽黒山国宝五重塔の杮葺き屋根改修工事のため、五重塔ライトアップは休止となりますが、【国宝羽黒山五重塔プロジェクションマッピング】が開催されます。

あつみ温泉 お湯輿まつり【2024年10月5日】

1200年こんこんと湧き出るお湯の恵みに感謝し、地域の人とお客さまが一体となって楽しむことが出来る「お湯輿まつり」。大人も子どももお湯輿におもいっきりお湯をかけて、楽しみましょう!!

荘内大祭【2025年10月6日本祭】

映画「たそがれ清兵衛」や「蟬しぐれ」の舞台、藤沢周平の小説に登場する「海坂藩」のモデルとして知られる庄内藩。鶴岡市は、江戸時代240年のあいだ、徳川家譜代大名の酒井家がおさめる庄内藩14万石の城下町でした。

荘内神社が創建された明治10年に、旧藩主を慕う市民の手でかつての大名行列が再現され、天下人秀吉より賜った金びょうたん槍を先頭に、奴振り、鎧武者の甲冑列など総勢約400名からなる「荘内藩伝承大名行列」が、城下町・鶴岡に歴史絵巻を繰り広げます。

ふじしま秋まつり・日本藁文化大祭【2024年11月10日】

【例年10月下旬】
ふじしま秋まつりは「つや姫の里の収穫祭」としてつや姫をはじめ芋煮や創作メニューコンテストなど、食にこだわった多様なイベントを実施しています。
藤島地域は米どころ庄内の中心に位置し、期待の新品種米つや姫の誕生した場所でもあります。つや姫の新米や米粉加工品の紹介や、藤島地区が目指す「人と環境にやさしいまち(エコタウン)のPR、農業のまちとしての伝統文化である「わら文化」を取り上け、藁工芸品の展示や実演など、様々な催しが行われます。

酒井家庄内入部400年

鶴岡は今もなお、殿さまが住み続けているまち。
令和4年(2022)、庄内藩主酒井家が庄内へ入部されて400年が経ちます。入部から現在に至るまで、酒井家は鶴岡に住み続け、その間ずっと領民・市民に「殿はん(さま)」と慕われ続けています。
お濠や土塁は残っていてもお城は残っていない鶴岡。しかし、訪れた人の多くは「城下町らしい落ち着いたまち」を体感し、「今も殿さまが暮らしています」とお伝えするとなるほどと納得されます。
 
酒井家の歴史
酒井家の庄内入部の歴史は、3代忠勝の代に信州松代(長野県)より出羽国庄内13万8千石の初代藩主として元和8年(1622)に入部されたことから始まります。
酒井家は徳川家とゆかりある家系で、新田源氏を祖とし松平親氏を父とする兄弟家であり、酒井家初代忠次は、徳川家康の義理の叔父でもあり、家康第一の功臣として徳川四天王筆頭と称されました。
3代忠勝は、領民の安居楽業を第一として、大々的に領内の検地を行い、その寛大な測量に百姓達は感謝し、測量に使った間竿を分け合って、お祀りしたそう。村々から遠く離れた飛島まで検地を行い、その時に持ち帰ったタブノキの苗は、現在市内で堂々とした巨木となり県の天然記念樹になっています。
 
藩校致道館
江戸後期の9代忠徳は「藩校致道館」を創設。藩の風紀を正し、藩政を担う人材育成のため、「個性伸長」「自学自習」を旨として、荻生徂徠の「徂徠学」を教学とし、先進的な教育が行われました。その教育精神は、鶴岡の教育の原点になっているとともに、これまで地域の教育風土を形づくってきたのです。現在では、東北地方に唯一現存する藩校建造物であり、国指定史跡に指定されています。
 
天保おすわり事件
10代忠器の天保11年(1840)には幕府より庄内藩酒井を越後長岡へ、川越藩松平を出羽庄内へ、長岡藩牧野を武蔵川越へ、三方領知替えの転付命令が出されました。しかし、酒井家を慕う庄内藩の領民はこれを阻止せんと「天保おすわり事件」と呼ばれる大規模な反対運動を起こし、翌年7月には転封撤回が正式決定されます。
ここまで酒井家が慕われた理由として、天保4年(1833)の大凶作時には貯蔵していた米の配給を実施し、一人の餓死者も出さなかったなど、藩の手厚い対応への領民の高い信頼があったことが伺えます。
幕府の命令が撤回されたのは前代未聞の出来事、それは幕府権力の弱体化を象徴するものでした。
 
戊辰戦争
幕末、江戸市中取締を命じられていた庄内藩は幕命により薩摩藩邸の焼き討ちを実行したこともあり、会津藩とともに朝敵とされ、戊辰戦争に巻き込まれます。庄内藩は団結力も強く、酒田の豪商本間家の財力で近代兵器も有し、連戦連勝の強さを誇りました。しかし、天下の形勢には逆らえず、明治元年(1868)9月に降伏します。重い処罰を覚悟した13代忠篤に対し、新政府軍が下したのはきわめて寛大な措置でした。戦後の交渉を担った菅実秀はこれが西郷の指示であったことを知り、その崇高な理念に感銘を受けます。今後指導を仰ぐべきは西郷と確信し、翌明治3年から忠篤の旧藩士70余名を伴う鹿児島訪問など交流が始まります。
西郷の没後、明治22年(1889)に西郷の賊名が解かれると、旧藩士達は西郷から学んだことをまとめ「南洲翁遺訓」を編み、西郷の教えを世に残しました。
 
サムライゆかりのシルク
 戊辰戦争で敗北した旧庄内藩は、明治5年(1872)旧藩主ら3,000名が刀を鍬に持ち替え、当時輸出の花形産業であった生糸の産業を興し、国に報いることで賊名をそそごうと原野の開拓に挑みます。2年で開墾した土地は約311ha。その後、桑の栽培、養蚕、蚕種、製糸を開始します。
この困難な事業は旧庄内藩の行く末を案じた菅が構想し、西郷にも相談しました。西郷は困難の連続に挑む旧藩士に「気節凌霜天地知」という言葉で激励し、西郷の勧めでドイツ留学した旧藩主忠篤、忠宝の存在も開墾の大きな支えでした。西郷没後明治12年(1879)に留学から日本へ戻った両名は鶴岡で絹産業など地域振興に力を注ぎます。
こうして鶴岡は明治以降も殿さまがともに暮らす、全国でも稀有な城下町として発展してきました。