浄土宗 大督寺 じょうどしゅう だいとくじ

庄内藩主酒井家の菩提寺。
その歴史は元和8年(1622年)に酒井家の庄内入部の際、鶴ヶ岡城の大改修と城下町の整備が行われ、この時に大督寺を信州松代から移したと伝わっています。移転後のお寺は城の南西方向に位置し、裏鬼門除けの意図もあったと考えられます。

酒井家初代・忠次公は、徳川家康公の叔母にあたる碓井姫を妻として迎え、碓井姫は二人の子を産み育て酒井家を支えました。本堂奥の間には、忠次公と碓井姫のご位牌が安置されています。大督寺では、江戸初期から伝わる貴重な碓井姫坐像も所蔵しています。(*通常、一般公開されていません)

酒井家の菩提寺として、本堂の欄干にも丸に酢漿草(かたばみ)のご紋が掲げられています。こちらの酢漿草紋は、「庄内酢漿草」と呼ばれる紋になり、一般的な酢漿草と若干異なる庄内独自の酢漿草になります。ぜひご確認ください。
また、寺内で見受けられる三つ葉葵の紋は浄土宗の紋として掲げられています。徳川家康公の菩提寺も浄土宗であることから、徳川家から許しを得て、三つ葉葵紋を掲げられるようになったといわれています。

旧庄内藩酒井家は、明治に神道に改宗したため、歴代当主らのご墓所は、隣接する大督寺と分地されています。神道改宗後も大督寺では忠次公の命日である10月28日には酒井家歴代供養の法要が行われています。
令和4年に酒井家庄内入部400年を迎え、令和5年には酒井忠次公の命日10月28日に墓所の特別公開が催されました。(*通常、一般公開されていません。)

また、敷地には「学校給食発祥の地」の記念碑があります。明治時代に鶴岡の和尚たちが恵まれない家庭の子どもたちのために寺内に学校を作り、さらにお弁当を持ってこられない生徒のために宗派をこえたお坊さんたちが托鉢をして回って、お弁当を支給したことが学校給食の始まりといわれています。

庄内藩の農民による義民一揆「天保義民事件」を題材とした時代小説にも登場した寺です。

スポット情報

「学校給食発祥の地」記念碑