山伏と歩く生まれかわりの旅 出羽三山
山伏と歩く生まれかわりの旅 出羽三山
かつての出羽国、現在の山形県のちょうど真ん中、鶴岡市に位置する3つの山は、1400年以上も前から信仰の対象として、修験の山として庄内地方だけでなく、全国から崇敬を集めました。
羽黒山(414m)は現在、現世の幸せを祈る山として、月山(1984m)は過去、死後の安楽と往生を祈る山として、そして湯殿山(1504m)は未来、生まれかわりを祈る山とされ、出羽三山を詣でることは「生まれかわる」こととされました。
山伏(修験者)は、修験道の修行者です。山を神様や仏様に見立てていて、「山に伏す」と表します。山伏は、山にある神が宿るとする木や岩などの自然物を拝みながら山中をかけめぐり、厳しい修行に挑むことで自らの力を高め、人間の潜在的な能力を引き出す存在とされています。
出羽三山は593年、今から1400年以上前に崇峻天皇の御子である蜂子皇子が開山したといわれ、山伏の修行も蜂子皇子がはじめたといわれています。一般的に修験道の開祖は役小角(えんのおづぬ)といわれていますが、出羽三山では、役小角もここに来て修行をしたといわれています。
宿坊は、お寺や神社の参拝者のための宿泊施設です。江戸時代に「西の伊勢参り、東の奥参り」が流行したころは、出羽三山には宿坊が330坊あったといわれています。現在、羽黒地区には27の宿坊と旅館があり、一般の宿泊客を受け入れている宿坊もあります。
代々宿坊を営む家に生まれ育ち、ご自身も山伏である出羽三山神社の吉住さんに出羽三山の山伏について教えていただきました。
羽黒修験に限らず、山岳信仰の山には天狗がつきものです。天狗とは木々の間を飛び交い、力を自在に操るといった山伏の想いを擬人化した存在で、山伏の理想や象徴のようなものだといえるでしょうね。
羽黒修験では羽黒山を現在、月山を過去、湯殿山を未来に見立て、生きながらに新たな魂として生まれ変わる、三関三渡(さんかんさんど)の行に白装束で臨みます。また、その上には摺衣(すり)を着ています。羽黒修験は市松模様の摺衣です。この衣を木や岩など山のものに摺ることで自然のエネルギーを自分に取り入れます。
修行の時は肉や魚といったものを断った菜食の精進料理で、一汁一菜の質素な食事です。羽黒山の精進料理は山の気をいただく考え方で、身体に必要なたんぱく源は取れますが豪華ではなく、基本は山で採れたものをいただきます。普段の生活での制限はありません。
もともとは合図として使われていました。例えば、山伏たちは山の中でバラバラに生活していますから、集まるとき、危険が迫っているときなど、吹き方を変えて合図を送るなど、連絡手段として使っていました。それが時代を経て、お祓いであったり、魔よけに使われたりするようになっています。
一般の方が山伏になる「秋の峰入り」という修行があります。参加条件としては健康な男性であること。そして、家族の同意も必要で、書類選考もあります。希望が多い場合は、神前でのご神託、抽選で選ばれます。海外の方も参加は可能です。
内容は公開していませんが、言える範囲で説明しますと、生まれ変わりの修行です。まずは死ぬ儀式、葬式をあげ、胎内に見立てた山に入って修行をし、再び「生」を得ます。生命の極致に追い込むこむことで、五感も研ぎ澄まされます。日々の当たり前のことに感謝できるようになることが、修行される方にとっての最大の魅力じゃないでしょうか。
かつては女人禁制でしたが、現在は、秋の峰入りと同じ秋に「神子修行」と呼ばれる女性だけの山伏修行を行っています。山中のお堂に籠り、荒行も行います。海外の方も修行できます。
修行中であればよろしくないのですが、本格的な修行を行っている時は観光客の方とお会いするような場所にはいません。また、人に説くことも修行のひとつですから、見かけたら、ぜひ話しかけてみてください。口下手な人が多いのですけどね。