サムライゆかりのシルク
鶴岡市を中心とした庄内地域は、国内最北限の絹生産地です。鶴岡は、開墾して養蚕・製糸業を始めた頃から今でも、絹織物の一貫した生産工程が集約された国内唯一の地域です。市内には日本近代文化の発展が感じられる史跡が今も残っていて、平成29年には「サムライゆかりのシルク~日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡~」として日本遺産にも認定されました。「絹の街鶴岡」は今も高級絹織物の産地として高い評価を受けています。
鶴岡市を中心とした庄内地域は、国内最北限の絹生産地です。鶴岡は、開墾して養蚕・製糸業を始めた頃から今でも、絹織物の一貫した生産工程が集約された国内唯一の地域です。市内には日本近代文化の発展が感じられる史跡が今も残っていて、平成29年には「サムライゆかりのシルク~日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡~」として日本遺産にも認定されました。「絹の街鶴岡」は今も高級絹織物の産地として高い評価を受けています。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争がはじまり、徳川家に仕える庄内藩は薩長軍と激しく戦いました。庄内藩以外の藩が降伏する中、庄内藩は最後まで新政府軍の自領への侵入を許さなかったことから「ラストサムライ」とも言われています。戊辰戦争降伏後、庄内藩主の酒井氏は転封を命じられましたが30万両の献金を納めて庄内に復帰。酒井氏の子孫は今も鶴岡に住み続け「殿様」として親しまれています。令和4年には入部400年となります。
庄内藩の処分が軽く済んだのは西郷隆盛の寛大な指示によるものでした。このことから、旧庄内藩主・藩士と西郷の交流が始まり、明治初期には旧庄内藩士が西郷隆盛の遺訓『西郷南洲翁遺訓』をまとめました。西郷隆盛は今も庄内地方で敬愛されています。
西郷隆盛は、旧中老の菅実秀が「日本の近代化に貢献するために、荒れ地を開墾して桑を植え養蚕を手掛ける」ことを相談したところ、賛同したと言われ、庄内シルクの発祥にも寄与しました。
戊辰戦争降伏後、庄内藩士たちは「逆族の汚名をはらそう」と、日本の近代化に貢献するために広大な山林を開拓し、養蚕を手掛けていくことを決意しました。城下から遠く離れた山林を開拓したのは、農民に迷惑をかけないためでした。庄内地域一円からの支援のもと、約3000人の旧庄内藩士たちは刀を鍬に持ち替え、「松ヶ岡開墾場」を建設。その後、1898年には鶴岡出身の発明家・斎藤外市が日本初の電動力織機を発明。それが日本全国にも普及し、庄内地域は一大シルク産地となりました。
庄内藩士たちが拓いた緑豊かな大地として国指定史跡として指定を受けている松ヶ岡開墾場。瓦葺上州島村式三階建の蚕室が5棟残っていて、一棟が修復されて松ケ岡開墾記念館となっています。2022年4月には、四番蚕室を、絹産業の歴史と文化に触れ、楽しみながら学ぶことのできる体験施設「シルクミライ館」としてリニューアルオープン。また、現存する5棟の蚕室の中でも、最も明治初期の姿をそのままに残している五番蚕室を、養蚕に特化した蚕室特有の建築構造を見学する施設として公開しています。
鶴岡市田麦俣地区は、庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の要所で、この地方独特の建築様式を誇る茅葺屋根の民家「多層民家」がたくさん建てられるようになりました。
養蚕が盛んになった明治時代中頃、民家の二階以上が養蚕の場所として使用されるようになりましたが、山間部の傾斜地に位置して住宅に適した土地が狭い田麦俣は豪雪地帯で、建物の新築や増築が困難であったため、毎日の暮らしと作業・養蚕のための部屋が一つの建物の中にまとめられて多層という形になったと言われています。
屋根の側面から見た姿が「武者のかぶった兜」の姿に似ていることから、「兜造り」と呼ばれるようになり、昭和49年4月には山形県有形文化財に指定されました。
鶴岡の絹織物産業に投資したのが、鶴岡城下で旧庄内藩の御用商人として発展し、後に鶴岡一の豪商となって産業の振興に力を注いだ風間家でした。
風間家7代当主・幸右衛門は、武家屋敷跡に住居と営業の拠点として「丙申堂」を明治29(1896)年の丙申の年に建設しました。
約4万個の石が置かれた石置屋根が特徴で主屋を中心に4つの蔵や広大な板の間と大黒柱など、豪商の往時の面影を今に伝える貴重な歴史遺産として国指定重要文化財にも指定され、注目を集めています。
また、映画の撮影場所にもなり、広く知られるようになりました。
庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)酒井家九代目・忠徳公が創設した藩校です。
徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針で、各自の天性に応じ長所を伸ばすことに主眼がおかれ、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌となりました。現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として一般に公開され、たくさんの人が訪れています。この藩校建築は、現存するものとしては東北地方唯一のもので、歴史的、文化的にも価値が高いものとして知られています。
元々は庄内藩主酒井家の御用屋敷だったものを博物館として公開したもの。「旧鶴岡警察署庁舎」、桑植付けに対する貸付、繭糸品評会の開催や養蚕指導を行っていた「旧西田川郡役所」、田麦俣の「多層民家(旧渋谷家住宅)」、11代庄内藩主酒井忠発が建てた隠居所「旧庄内藩主御隠殿」など、サムライゆかりのシルクを知る歴史的建築物がここに移築されています。
鶴岡市は高級絹織物の産地として今も高い評価を受けています。蚕が繭を作る際に最初に吐き出す糸「きびそ」でつくられる、エコロジカルでナチュラルな絹製品「kibiso」は、世界でも注目されています。
JAPAN HERITAGE
「日本遺産」とは、日本各地にある文化財や世代を超えて受け継がれている伝承・風習をありのままに保存し、その価値を広く知ってもらおうと文化庁が有形・無形の文化財に対して認定しています。鶴岡市には、全国最多となる3件の日本遺産があります。
自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446段の石段から始まる出羽三山~(平成28年認定)
サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ(平成29年認定)
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~(令和元年追加認定)